残り香によせて
 


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芥川が敦を連れて向かった先は、落ち着いた佇まいの和食亭で、
通りからやや細い道へと入ってすぐのそこは、
外装はコンクリの打ちっぱなしな壁へ
地べた近くに設置したスポットライトでライティングしているだけ。
よく云ってモダンな、悪く云や殺風景極まりない素っ気なさだったが、
格子の引き戸を横へとすべらせつつ入ってみれば、
それもまた一種の城塞のようなものだったのだと納得させられる。
入るといきなり大きな板屏風が立ちはだかり、店内を見渡せない目隠しとなっており、
案内役の店員から予約の有無や会員かどうかを屈託なく訊かれる。
どうやら一見さんはお断りだという店であるらしく、
ランドマークがあるでなし、さほど繁華な中心街でもない位置だというに、
いわゆる“隠れ家”っぽいこういうところ、有るところには有るものならしい。
奥向きには畳座敷の個室もあるらしく。
明るい胡桃色のテーブルが並ぶ、清潔そうでシックな店内はさほど混んでもなかったが、
この時間帯にこの界隈でこれほど余裕の客数ということは
会員、若しくは予約優先という それなりの制限があればこそか。
ファストフードや定食屋、
はたまたモーニングやランチを置いているカフェへばかり馴染み深い身なものだから、
誘った側であるはずが、敦にはどうにも居心地が微妙な店であり。
女給さんに案内された席につき、

 「選べ。」
 「あ、うん。」

何か演目のプログラムのような表紙付き和綴じのお品書きを差し出され、
恐る恐る開けば、水茎の跡も嫋やかな筆文字で様々なメニューが綴られている。
落ち着けば知った品目ばかりのはずが、
妙に緊張した虎の子くん、何が何やらと困惑しきってしまった模様。
何だか落ち着きのない相方へ、
しばしキョトンとしてから、ああと遅ればせながら合点がいったか。
偏光眼鏡を外しつつ、芥川が目許をたわませて言い足したのが、

「此処は丼物が美味いそうだ。」
「…そうなんだ。」

それじゃあと かつ丼とやらを頼んでもらったところ、

 「うわ、何これ。」

出汁の香りも品よく立ち上る、澄まし汁や香の物と共に供された丼物は、
そこいらの定食屋のものとはまるきり格の違う代物で。
カツのお肉は柔らかいし噛めば染み出る旨味も満タン。
衣はサクサクで、でも玉子とじになってるところが程よく蕩けてて、
出しの利いた煮汁のあまからさ加減も絶妙だと、ふっくら炊かれたご飯が進む進む。

 「もう一杯いけよう。」
 「…う。////////」

思っていた以上に空腹だったか、いやいやあまりに美味しかったものだからだろ。
小粋な陶器の丼、一度も卓へ戻し置かぬという勢いで一気に平らげてしまい、
そんなお声を掛けられてハッと我に返った虎の子くん。
真っ赤になりつつも、いただきますとそこは遠慮なく奢っていただいて。
向かいの兄人は海鮮のちらし寿司らしい小ぶりの一品をお行儀よく食べ終えたのと、
ほぼ同じくらいにご馳走様と落ち着いて。
長居をしても急き立てられはしない店らしかったものの、
芥川の立場が立場なだけに、
食後の煎茶を堪能してから席を立ったのが、
街の雑踏に酔客も混じり始める宵の入り口辺り。
陽が落ちるの早くなったなぁと思っていた薄暮が、今はすっかりと夜の帳になっていて。
ほんの先日になろう、
仮装した人々があふれたハロウィンの混沌とした騒ぎもどこへやら。
クリスマスに向けての気の早い雪景色のディスプレイや、
街路樹に星屑のようなイルミネーションを飾ったライトアップが
早くなった宵に浸された街を華やかに彩っている。

 「あ、この人たち、新しいアルバム出すんだ。」

楽器店のウィンドウに貼られた新譜案内、
小さめながらアーティストの写真が印刷されてあったのへ、
ついのこと、弾んだ口調で呟けば。
弟分の関心の度合いに釣られたか、同じようにポスターを見やった黒髪の兄人、
自分には見覚えがなかったか、

 「知人か?」
 「えっと、護衛したことがある。」

今でこそ若者に人気のPOPユニットだが、
当時はまったくの無名で、でも、異能かかわりの問題抱えてたと、
小声でもしょもしょ告げた敦だったが、
依頼主の情報漏洩ではなく、途中から、あ…と芥川も思い出した。
確かそれって、この少年が中也と組んでこなした任務だったからで、
万が一、最悪な方向へ捩れたなら自分も投入される予定だった案件。
相変わらず 今時とか流行のものには疎いままの黒の青年で、
ひところならそんなところを指摘しようものなら、
逆切れなのか証拠封じか、羅生門が音もなくツッコミ()を入れてきたところ。
ふむで済ませてそこまでは為さぬという やや軟化した雰囲気が、

 “…地味に嬉しいなぁ。”

慣れ合いなんて下世話なものじゃあなく、
仲良くなってる手ごたえみたいで、なんて
相変わらずお花畑な頭だと、それこそ嗤われそうな感触ににやけそうになる敦くんだったり。
そのまま、街路沿いに大窓を並べた店を覗いては、
流行りのジャケットやら話題の人形やら、
他の若者たちと同じよに、ああだこうだと指差して話題にしつつ、
そぞろ歩いて辿り着いたのが、
街歩きした折に一休みの場として運ぶ、芥川のセーフハウスが在すマンションで。
情報収集など単独任務の足場にと借りているものならしいが、
このごろでは敦へも合鍵を渡し、好きに使えなんて言ってくれており。
今宵は主人が導いての帰還ゆえ、
鍵を解いた彼に続いた少年、お邪魔しまぁすと一応の挨拶を放る。
自分も外套を脱いだ主人からハンガーを差し出され、ああそっかと上着を掛けた辺り、

 “こやつ、日頃はその辺へ放り出しているのか。”

同居中の鏡花に世話を焼かせまくっているかもな一面を覗かせたものの。
ハンガーをポール型のコートラックへ掛けるところは作法通りだし、
衣嚢から取り出した端末をぱくりと開き、
電信が届いてないか確認しつつ、ソファーに腰かける様子には萎縮も困惑もなく。
そんな態度なのが黒衣の兄人にも、ああいつもの此奴だという安堵を齎す。
妙なもので、尊大無礼に振る舞われるとムカッと来るが、
ではでは 委縮したおしての畏れ多いと遠慮されても、それはそれでムッと来るようになった。
双方それぞれ任務中に鉢合わせてしまったとか、微妙な事情背景があっての場合ならともかく、
此処まで馴染んでいるというに何だそのよそよそしさはと、
そういう方向でムッとくる自身なのへ、果たして気づいている禍狗さんかどうかは微妙。
人との親しみようが思いの外 深まるというのはそんなものなんだろうと、
そのうちそれぞれの師なり上司なりから くすぐったそうに告げられればいいことだ。

 「これは?」
 「え?」

頬骨の辺りにうっすらした引っ掻き傷があったのへ、
些末な傷ほど自然治癒なのか?と ミルクたっぷりな珈琲を満たしたマグカップを渡しつつ
細い顎をしゃくるようにして芥川が問い。
そんな傷があったこと自体気づいてなかったか、
どこ?なんて自身の目の縁を不器用そうに撫でる虎くんだったりし。
当たり障りのないやり取りを交わし合ってから、

 「そうそう。太宰さんてタバコ吸うんだね。」

彼ら二人の共通の知人と言えばな お人のこと、つい訊いてみる。
今日ちょっと意外だなぁと感じたのを今思い出したのは
大した切っ掛けがあってのことじゃあなく。
外との気温差のせいだろう、兄人が小さく咳をしたことから ふっと思い出しただけ。
そして、今更そんな事を訊かれようとは思わなんだか、
だが、隠しておかねばと構えることでもなし、

 「? ああ、昔はたしなんでおられた。」

一瞬、眉を上げて仄かに怪訝そうな顔になったものの、そのままさらりと応じてやる。
マフィアにいた頃となると未成年だったのだろうが、
今の芥川と同じほどの背丈もあって、身体付きはしっかり出来上がっていたらしいし、
そういう社会じゃあ、ガムを噛むよなノリ、
一種のアクセサリーみたいなものでもあったのだろうから、
取り立てて疚しい過去とまでは言えなかろう。
その辺りは敦も似たようなレベルで承知していたようで、ふ〜んと納得したよな声を出し、
どうしてそんな事を訊く?という目顔への応じとして、

「太宰さんって、
 ラベンダーだっけ?香水の匂いしかしないって印象があったから、
 ちょっと意外でビックリしちゃった。」

今日ちょっとした拍子に匂いがして、何か意外だったからどうしたのかなって。
本人に訊けばよかったかな、でも、子供じゃあなし 何でもなかろうとそのままになっちゃって

 「…ほほぉ。」
 「何か怒ってるみたいだけど、羅生門 繰り出すのやめて。」

ちょっとしたアクシデントがあっただけだよ。
転びそうになったの受け留められt…痛い痛い、と。
うっかりと地雷を踏んでたこと、言ってから ああ成程そうだったねと気づくうっかりさん。
先程はかすり傷に気づいて案じてくれた同じ人物から、
必殺の異能の剣先でツンツンと強めに突々かれて、

 「何だよ 今更焼きもちか?」
 「親しい仲にも礼儀ありというだろう。」
 「ちょっと違うと思うんだけど。…痛いって。」

それを言うなら、この羅生門でのツッコミも、
親しい仲にも云々を持ち出すなら 有り得ないことじゃね?と。
思いはしたが、言えばますますと油をそそいでしまうこと、
遅ればせながら発動した学習能力で想定し、むむうと口を噤んだ、
ちょっとは賢くなった虎くんなれど。
普段の仕事着、あの漆黒のチェスターコート姿じゃあないが、
ツィードニットでも硬度や鋭度は自在に制御できるらしく。
まま、ツンツンと突々かれただけ、
切り裂く系ではなかったので、これでも手加減はしているようで。
最後におでこをピシリとはたいて引っ込んでったの見送って。

「相変わらず、す〜ぐこういう物騒なことして。」
「ポートマフィアの人間に油断しまくる方が悪い。」

と言いつつ、最近は滅多なことでは殺すの死ねの言わなくなったくせに
と思いはしたが、
言って再燃させるのも何だと、口にチャックした敦くんだったりする。
要するに、おとうと弟子は可愛いが、
師匠に必要以上に馴れ馴れしくするんじゃあありませんということか。
兄人の地雷を改めて肝に命じ、
そんな胸中を誤魔化すのも兼ねて、

 「ポートマフィアの人というと、吸う人多いんだろうね。」

不良のアイテムとか単純なことを思ったわけではなくて、
あの中也も結構なヘビースモーカーだと知っている敦としては、
命のやり取りになる仕事が多い彼らのこと、
集中の必要あってとか、くさくさするストレスを払うためとか、
彼らなりに必要があってたしなんでいるんだろうなという理解はある。
ただ、

 「時々中也さんに
  煙草は血流への影響が大きいから、
  吸いすぎるとますますもって頭に養分が回らなくなるよなんて言ってらしたし。」

太宰はどちらかというと頭脳派で、
しかも頭を掻き毟りつつ追い込まれる中で絞り出す派ではなく、
脳内へ演算式をすらすら書き連ねたり、
瞬発力のある特異な応用とやらを、独自の収納が為された書架から迷いなく取り出すような、
合理主義に基づくスマートな俊英、
そのような才を土壇場まで押し隠す、極めつけに冷徹な天才というイメージがあるため、
ファッション的にも嗜みとしてでも、
安定剤代わりの煙草とは無縁なように思っていたらしい敦だったようで。
超インテリなお兄さんがタバコ吸ってたなんて意外〜と、大方そんな風に感じてしまったのだろう。

 「…確かに最近はあまり触れてなさらぬが。」

ニヒリズムに付きもののクールな小道具っぽくもあるけれど、
そんな反面、煙草は嗜む側にも結構危険な小物でもある。
煙の匂いで居場所を察知されやすいし、
吸い殻をうっかり放置すれば回収されてDNAを収集される。
マフィアの愛煙家が携帯の吸い殻入れを持参しているのは、
マナーの話じゃあなく、そんな下らないことでアシが付かないようという用心からだ。
なので、何となりゃあ眉目秀麗な風貌さえ自身のセールスポイントとしてしっかと把握しているような、
合理主義者で綿密周到な太宰が、
そんな詰まらぬツールを愛用しているはずがない…と 不自然さを覚えた少年だったらしいのへ、

 「煙草は、」

何かを偲ぶように伏し目がちとなった芥川、
その視線の先ではなく、自身の身の内、胸の底を見やっているような表情となり、
こんな言いようを紡いだのである。

 「それが似合う旧知の馴染みがいらしたのでな。
  今日はその人のことを思い出されているのだろう。」

今日という日はそんな存在が永遠に遠ざかってしまった日でもあるそうで。
組織を救った英雄として、下層構成員だったにもかかわらず首領直々に弔われたその人と
個人的に親しかったにもかかわらず、葬儀に顔を出さなかった太宰だったのを思い出す。
彼の死をもってなのかどうかはいまだ直接聞いてはないが、
あの、マフィアになるべく生まれた存在とまで言われた太宰が、
歴代最年少幹部でありながらポートマフィアを出奔したことに大きく関わった人。

 「……。」

何処か感慨深げな顔をする芥川なのへ、
屈託ない声で話しかけていた敦も何か嗅ぎ取ったものか、
ふっと黙りこくると、物憂げにも見える兄人の冴えた美貌を見守った。




to be continued.(18.11.08.〜)





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 *煙草というアイテムは、昨今の禁煙エリアの拡大により
  サブカル世界での大人なアイテムとしても微妙なそれになりつつあるような。
  …ややこしい言い方ですかね。
  大好きな『攻殻機動隊』の張り込みシーンとかで、
  皆さんやたら紙巻き咥えてらっしゃるんですが、
  少なくともちょっと名のあるホテルとかだと
  ボーイさんから“ご遠慮願えますか”なんて言われかねないわけで。
  (はたまた『パトレイバー』では、
  後藤隊長が“若いのはみんな吸わないんだよなぁ”としょぼくれてらしたし。)

  武装探偵社では、社長以下、誰も吸ってないみたいですし、(確か花袋さんも?)
  一方で、ポートマフィアでは依然として喫煙者多数。
  そういうところも対照的な特徴としていなさるのかなぁ?